山上大神宮は、函館山のふもとにある、とても歴史のある神社です。
ただ場所は分かりやすいんですが、道のりがなかなかハード。
「山上」と名前が付いているように、けっこうきつい坂道を上った先にあります。
そんな、山上大神宮の御朱印やアクセス方法、駐車場や歴史などを詳しく紹介します!
山上大神宮の御朱印
山上大神宮は「住三吉神社」の兼務社となっており、住三吉神社の御朱印もいただくことができます。
そういうことを知らず、初めて住三吉神社に行ったときに、上のような張り紙があり、「えっ!そうなんだ」と少しショックでした。
住三吉神社は函館山ふもとの住吉町にあり、山に向かって左と右という意味では、山上大神宮とほぼ正反対のような位置関係。
住三吉神社に行ってから山上大神宮まで徒歩で行くのは厳しいです。(グーグルマップだと徒歩49分)
なので、もし同じ日に山上大神宮にも行くのであれば、市電を活用するのが1番良い方法だと思います。
住三吉神社から山上大神宮へのアクセスについてはあとで紹介します。
ということで、住三吉神社の御朱印は、山上大神宮にて受け付けているという点は知っておきましょう。
私が行ったときは初穂料はともに500円でした。
また、私は御朱印を書いていただけたんですが、口コミを見ると「書き置きだったのが残念」という方がけっこういます。
その時の状況によって、書き置きのときもあるようです。
山上大神宮へのアクセス
山上大神宮へは市電で行くのが分かりやすいです。
函館山の向かって右側に行く「どっく前行き」に乗って、終点の「どっく前」で降ります。
※一つ手前の「大町」で降りても良いですが、どっく前で降りた方が若干近いです
降りてから今電車に乗ってきた道を戻り「幸坂」(さいわいざか)を目指します。
どっく前から歩くと、「魚見坂 → 船見坂 → 千歳坂 → 幸坂」の順です。
山のふもとにある函館の坂道は、坂の入り口に案内表示があるのですぐに分かります。
ただ、山上大神宮に行くのはここからが本番です。
上写真の坂を上っていくんですが、これだとちょっと分からないので拡大してみます。
これでも分かりにくいと思いますが、何となく鳥居が分かるでしょうか。
山上大神宮の場所はシンプルで、幸坂を上っていった突き当りです。
写真でも坂道だということは分かると思いますが、そんなにきつい感じには見えないかもしれません。
実際、途中まではそんなに大変ではないんですが、山上大神宮に近づくにつれて傾斜がきつくなってきます。
最後のほうは正直かなりきついです。
私が行ったときは10月上旬で、その頃の函館は最高気温が20度くらい。
汗をかいたので、山上大神宮のすぐ側にある「船見公園」で休憩しました。
季節によっては、汗対策としてタオルやタオルハンカチのようなものを持参したほうがよいと思います。
ただ、上りきってから見下ろす景色は、見晴らしも良く綺麗な景色が広がって、達成感もありますよ!
住三吉神社から山上大神宮へのアクセス
住三吉神社から山上大神宮へ御朱印をいただきに行く方もいると思うので、アクセス方法を紹介します。
住三吉神社は函館山向かって左端、山上大神宮は函館山向かって右端のイメージです。
ほぼ正反対の位置関係ですが、市電で一気に行くことはできず、中間辺りで乗り換えが必要になります。
以下のような流れです。
・「十字街」で降りる (谷地頭から3つ目の電停)
・向かい側の路線から「どっく前行き」に乗る
・あとは山上大神宮へのアクセスと同じ
(「どっく前」で降りて「幸坂」を目指す)
ちなみに「十字街」から「山上大神宮」までは徒歩だと30分くらいです。
普段歩き慣れている方であれば、徒歩で行ってみるのもいいと思います。
山上大神宮の駐車場
山上大神宮には駐車場はありません。
ただ「幸坂」は、おそらくなんですが駐車禁止ではないと思います。
だからと言って推奨するわけではないですし、仮に駐禁ではないとしてもマナーを守って止めましょう。
この辺を散策するのであれば、「幸坂」から坂道5本ほど離れた「基坂」に「函館市元町観光駐車場」があります。
有料ですが、そちらに止めた方がいろいろ動きやすいと思います。
山上大神宮の歴史
山上大神宮の由来は、北海道神社庁のHPに以下のように書かれています。
社伝によると応安年間藤坊という修験者が当地に渡来、亀田赤川村神明山に草庵を結び伊勢神宮の御分靈を奉斎したことに始まる。明暦元年5月、尻澤邉村(現在の住吉町)に移転遷座し、箱館神明宮と称した。天和2年、弥生町15番地付近に移転し、明治7年、従来の神明宮の社名を、この地の山ノ上町をとり山上大神宮に改称し、明治9年郷社に列せられる。同11年11月と翌12年12月に大火にて類焼、一時住吉町の住吉神社に仮遷座し、同15年9月、船見町85番地に社殿を新築して移転、同35年11月、同町125番地に移転改築された。同40年6月、神饌幣帛料供進神社に指定される。昭和5年6月、社殿以下全ての改築を行い同7年3月に竣功した。また、当神社は箱館戦争の折、榎本武揚率いる旧幕府軍に加わった桑名藩主松平定敬の御座所にも使用されている。
北海道神社庁HPより
これだと何となくは分かりますが、よく分からない表現などもあるので、分かりやすく年表にしてみました。
年代 | 出来事 |
---|---|
応安年間 (室町時代) 1368年~1375年 | 藤坊という修験者(しゅげんじゃ※1)が当地に渡って来て、亀田赤川村神明山(しんめいさん)に質素な小屋を建てる。そして、伊勢神宮の御分靈(神の神霊を分けたもの)を慎んで祀ったことが始まり ※1 古代日本で山岳信仰に仏教や道教等の要素が混ざった日本独自の宗教を修験道(しゅげんどう)と言い、修験道を信仰していた人 |
明暦元年5月 (江戸時代) 1655年 | 尻澤邉村(現在の住吉町)に移転遷座し「箱館神明宮」となる |
天和2年 (江戸時代) 1682年 | 弥生町15番地付近に移転 |
明治7年 (1874年) | 神明宮の社名を、この地の山ノ上町をとり「山上大神宮」に改称 |
明治9年 (1876年) | 郷社に加えらる(※2) ※2 かつては神社に等級(格付け)制度があり、「郷社」というのはその中の呼び名の一つ |
明治11年11月 (1878年) 明治12年12月 (1879年) | 大火にて類焼(他所から燃え移る)し、一時的に住吉町の住吉神社に仮遷座する |
明治15年9月 (1882年) | 船見町85番地に社殿を新築して移転 |
明治35年11月 (1902年) | 船見町125番地に移転改築 |
明治40年6月 (1907年) | 神饌幣帛料供進神社(しんせんへいはくりょうきょうしんじんじゃ※3)に指定 ※3 地方自治体から、神様に供える供物(神饌)と、神様に捧げるお金(幣帛)の供進を受けていた(神様に供えるために与えられていた)神社のこと |
昭和5年6月 (1930年) | 社殿以下全ての改築を行い昭和7年(1932年)3月に竣功 |
備考 | ・山上大神宮は、箱館戦争の折、榎本武揚率いる旧幕府軍に加わった桑名藩主松平定敬の御座所にも使用されている ・幕末の頃の8代宮司は坂本龍馬の親戚で、新島襄の渡航に力を貸したという話がある ・本殿が、神社建築では唯一、函館市の景観形成指定建築物(※4)に指定されている ※4 景観形成指定建築物とは、都市景観形成地域内において,都市景観の形成上重要な価値があると認められる建築物等その他の物件 |
このように、山上大神宮はかなり歴史があり、様々な出来事があったことが分かります。
また、何度も合併合祀しているため、多くの神様が祀られています。
天照皇大神 (あまてらすすめおおかみ)
豊受大神 (とようけのおおかみ)
倉稲魂神 (うがのみたまのかみ)
木花開耶姫命 (このはなさくやひめのみこと)
手置帆負命 彦狭智命 (たおきほおいのみこと ひこさじりのみこと)
大国主命 (おおくにぬしのみこと)
中筒男命 (なかつつのおのみこと)
迦具土神 火産霊神 (かぐつちのかみ ほむすびのかみ)
大己貴命 (おおなむちのみこと)
菅原道真公 (すがわらのみちざねこう)
境内の様子
きつい坂を上って来て、さらにこの階段。鍛えられますね(苦笑)
階段を上ると手水舎や社務所があります。
そして、本殿はもう一段階上(汗)
これが、神社建築では唯一、函館市の景観形成指定建築物になっている本殿です。
周りはまさに函館山のふもとで、もはや山の一部っていう感じでパワーを感じます。
そして、境内から見える景色がとても綺麗です。
私の場合は、坂の下から歩いて来たので、「あぁ、ここを上ってきたのか!」という達成感も感じられました。
山上大神宮のすぐ側にある船見公園からも、見晴らしの良い景色を見ることができますよ!
まとめ
山上大神宮について紹介しました。
とても歴史のある神社で何度も合併合祀しているため、多くの神様が祀られているという特徴があります。
ただ、場所は分かりやすいんですが、神社までの坂道がけっこう大変。
私のように普段あまり運動していなければ、そこそこキツイと感じると思います。
季節によっては汗拭きがあったほうが良いでしょう。
それでも上りきったときの達成感や、見下ろす景色に感動があります。
ぜひ立ち寄ってみて下さいね!
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